周りに流されたのか、自分で選んだのか

日々の暮らしの中で、「流された」と感じることがあります。ある学びの後の懇親会で、まさにそういう経験をしました。

 

日帰りが1泊に

当初、懇親会は1次会で帰るつもりでした。予想以上に盛り上がり、2次会へ移行するタイミング。帰宅までの終電を確認し、まぁ、少しならと2次会へ。その後、・・・やはり盛り上がり・・・、3次会を経て、宿泊に。翌日にも学びの開催が予定されており、結果、連日で参加することになりました。

 

周りに流されたのか、自分で選んだのか

2次会に参加した時は、周りに流されたと感じていました。その2次会がよかったのは、1次会に続き、学びについて語り合えて楽しかったこと。しかし、時は刻一刻と終電に近づいています。時計を確認しつつ、そろそろ帰るか?、そう考えたとき、楽しかった感情で見えなかったものが見えてきました。

私にとっては、2次会への参加は、楽しいひとときをもっと過ごしたいことを選んだものでした。終電までは楽しいひとときが続けられるからと。強い感情で自分の選んでいた行動が見えづらくなっていたということです。

終電間際の2次会で、翌日の学びの参加者が少ないことが判明し、連日で参加することができそうなことがわかりました。これが決め手で、3次会へも参加し、日帰りあらため宿泊としました。翌朝、先方に連日で参加できるかを確認して、もしダメだったら、観光して楽しめばいいかなと。

 

他人には鈍感に、自分には敏感に

楽しい雰囲気の中にいて、周りに流されたと感じるとき、本当は周りではなく自分の感情に動かされているのです。他人がどうかより、いま、自分はどんな気持ちでいて、それは何を望んでいるからなのか、自問自答してみましょう。今回、私もしてみたところ、自分の感情から行動が見えてきました。

 

■編集後記

昨日は、両親を連れてドライブへ。

水辺が眺めるルートを中心に疾走。

風がやや強かったのですが、雨もなくドライブ日和でした。

 

■1日1新

地元のどら焼きを食べる。

あんこがいっぱいで贅沢な一品でした。